服、カバン、靴、電化製品…とにかく私たちは色んなものに囲まれて暮らしている。
おそらくここ一か月間、物を買ったことがない人というのは、いないと思う。
私は一応20代だが、引っ越しするにあたって「消費社会」にどっぷりとつかっていた事を思い知らされた。
無計画に買った服、ちょっと汚れただけで着なくなった服、使いにくいカバン…
捨てても捨ててもまだある。
その中で結構気にっているタンブラー型の水筒があった。

ドウシシャ タンブラー ふた付き コンビニマグ ダイレクトタイプ 真空断熱 直接ドリップ 0.36L ブラウン CBCT400BR
- 出版社/メーカー: ドウシシャ
- 発売日: 2015/08/06
- メディア: ホーム&キッチン
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スタイリッシュだし、飲みやすいし、コーヒーを入れても良い。
仕事があるときはたいてい持ち歩いて1年半ほど使っていた。
しかしある日重要なパッキンがなくなってしまったのだ。
この小さなパッキンがないだけで、残念ながら中の飲み物が漏れてきてしまう。
しかしご覧のとおり外観はまだとてもきれいで使えそうなので、パッキンを購入することにした。
コンビニシリーズ ドウシシャの調理用品/Do-cooking.com
このサイトでパッキンを購入できるのだが、ついでに他のパッキンやちょっと臭くなってきているので蓋も交換しようと考えた。
そして、一式カートに入れて金額を見ると…
873円+送料324円=1197円…
なんと新品を買うほうが安かったのだ。
(現在アマゾンで新品1050円)
なんで?本体の値段はどこに行ってしまったんだろう?
まさか本体が一番安いなんてことはないだろう…
そしてふと昔のことを思い出した。
小学校の時、家がとても貧しかったわけではないが、倹約家な親に靴下の縫い方を教えてもらい穴が開いても縫って使っていた。
落書き用の紙はたまに新聞と一緒に入っている後ろが白い広告チラシに書いていた。
昔は物を大切にしていた。貴重だということを知っていた気がする。
それが、今、なんでこうなっちゃったんだろう?
物があふれている。嫌になるほどあふれている。
過剰すぎやしないだろうか?
ショッピングモールに山積みになっている服も、何もかも…
昔より安くて良いものが簡単に手に入るようになった。
それは何故だろう。
人間の生産技術が向上したからか。
けど、これ以上物が増えてどうするのだろう?
人間が使うものなんて限られている気がする。
買っては捨て買っては捨て…
何個も持っているのに、誕生日プレゼントでマグカップをもらったり、何着も持っているのに、おさがりの服を貰ったり…
それらは気持ちはありがたいが結局使われずにしまわれて、捨てられてしまう。
なんだかゴミのリレーをやっている気分になる。
ところで、物が無くて食べ物も足りなくて貧しい国があると聞く。
けど実は地球上の食料や物質を均等に分ければすでに足りる量があるのでは?
そう思う時がある。
日本の食品廃棄量だけでも7000万人が一年分食べられる量だという。
ちなみに中国留学で思ったが、中国の食品廃棄も結構凄まじい。
これらをみんな均等に分けることができたら?
貧困や餓えなどなくなるのではないか?
そんなことを思った。
しかし更にそれ以降のことを考えると自分はいつも頭を抱えてしまう。
貧困や餓えがなくなったら、結局再び人口が増えて貧困や飢餓が生まれるのではないか?
そもそも今働いている人間は豊かに便利にと追及しているが、豊かになって便利になって何を成しえたいのか?
今、衣食住がすべて満たされ、インフラまで整備され何不自由ない暮らしがあるはずなのに、幸せを感じてない人が多かったら意味がないのではないか?
人間は結局何がやりたいのか?
人間は夢を持って、それに向かって努力して夢を叶えてしまう生き物だけど、夢は70億人分あるので、きっと私の想像など及びもしない結末がまっているだろうなと思う。
なんかタイトルからかけ離れてしまったけど、そんなことを考えてました。
私は生きる意味なんて知りません(笑)