ここ最近今の生活が当たり前に感じすぎていて実は10数年前の生活すら忘れている事に驚く事があった。
まずはスマホ。
今日ソフトバンクの通信障害が発生したが、スマホが無いと仕事が出来ない、不便だと感じる人が多数いたようだ。
数年前までスマホなんて無かったのに、その頃どのように過ごしていたかを思い出せない。
人間はやはり忘れてしまう生き物だと言う事を再認識させられた。
今はLINEでのやり取りが普通だが、思えば私が高校の時はメールが主流で、しかも毎月のパケット通信料を気にしながらビクビク写真を送っていたものだった。
今は一瞬でメッセージが届き何百枚という写真を送っても無料だ。(ネット代払えば)
それ以前にカメラでなくてもスマホで何枚も写真が撮れると言うのが驚きである。
フィルムカメラを使ってた時はあと何枚撮れるのか心配だったし、失敗も出来るだけ少なくしたかったはずだ。
それが今はスマホに一万枚くらい写真が入っている人も少なくないだろう。
さらに地図アプリやカーナビ、時刻表のアプリ。
今は200mの距離ですら地図アプリで確認してしまう。
カーナビが無かったら怖くて車を運転する事なんて出来ない。
どこかで待ち合わせをする時は時刻表アプリで何分に着くか、すぐに調べて連絡する事が出来る。
さて、もしこの3つが明日から使えなくなったら我々はいつも通り外出する事が出来るだろうか?
スマホだけではない。
普段何気なく使っている物も実は10数年前にはあまり一般的ではなかったという事に気づくと衝撃を受ける。
最近気づいたのはインスタント味噌汁だ。
親族の葬儀に参加した時に母が「15年前爺ちゃんの葬式で葬式会場に泊まった時に、初めてインスタント味噌汁を食べて今こんなものがあるんだ!って感激したよね。」と言っていた。
それを聞いて私はその時の光景をありありと思い出した。
そうか、15年前はインスタント味噌汁も知らなかったんだ…!
(我が家が時代遅れなだけかもしれないが)
あとはコンビニや百均なども私が小さい頃は本当に少なかった。薬局やスーパーも何か増えた気がする。
(実際増えているかは知らないけど)
十年前を思うと物凄く便利になった。
五十年前などを比較するとあり得ないくらい便利になったと思う。
電子レンジ、洗濯機、炊飯器、水道、ガス、電気、車、電車、新幹線、カップ麺、ラップ、シャーペン、リモコン…こんな便利な物があるのに何故我々はまだ忙しくて時間が足りないのか不思議だ。
どこでも友達に秒速で連絡がとれて、周囲の美味しい店をどこでも探せて、そこまでの最短ルートを家で探す事ができる。
我々はこの暮らしがいつまでも続くと無意識的に信じている。
十年前には無かった物が無い暮らしに耐える事が出来ない。
それでも私は今後震災やトラブルで今までの生活が出来なくなった時に、昔はこうやっていたじゃないかと思えるような広い心を持ちたいなと思うのである。
ちなみにプラスに考えると人間はこの数十年で数多くの理想を叶えた事になる。
どこにいてもすぐに友達や家族と連絡をとりたい。顔を見たい。
正確な電車の発着時刻をすぐにどこでも知りたい。
枚数を気にせずに写真を撮りたい。撮った写真をお金を気にせず送りたい。
見知らぬ土地の道を把握したい。もっとも効率が良いルートで行きたい…などなど
人間の発展はやはり欲によって出来ているんだなと改めて思う。
すげえな人間。