エビのから揚げ

から揚げにされたえびの雑記ブログ

何かに縛られて不自由で窮屈な社会

最近ボランティアに参加して思った事があるんです。

そのボランティアでは子どもが子どもらしく、のびのびと活動出来るように見守るというのがコンセプトで、とても良いなと思ったのです。

 

しかし、やっていて逆に

なんで子どもはのびのびと自由に活動するのが良しとされるのに、

大人になるとそれが良しとされないのか?

と思ったのです。

 

そして、結局子ども達に対して自由でのびのびと言っても、その前提に大きな縛りがあったのです。

他の人に迷惑をかけない

という大きな縛りが。

 

そのおかげで普段出さない大声を出して子どもたちに

「道を広がって歩かないで!」

「他の人が通るから道をあけて!」

「他の人がいるから騒がないで静かにして!」

と、注意しまくっていました。

 

 

当たり前だ。

それは最低限のマナーだろう。

 

と、思うかもしれません。

けど、こんな周りの目ばっかり気にして怒り散らす大人を見てて、将来大人になるのが楽しみだと子どもは思うのでしょうか?

 

子どもたちは知らず知らずのうちに自分の中の子どもの欲求を抑圧し、大人がやっているルールを守るようになり、その守らない者は悪であり、怒られる対象であると学ぶ。

そして守らない者に対しては自分も怒って良いと学ぶ。

そうして大人の仲間入りをしていく。

何かそれが非常に悲しい事に見えたのです。

 

大人=ルールに縛られて我慢して生きる事

何でしょうか?

 

ルールに縛られて我慢して生きている人は他の人がルールを破っているとイライラしてきます。

自分は(我慢して)ルールを守っているのになんだアイツは!

という感じです。

 

街を歩けば様々なルールがあります。

・大声で話さない

・電車の中で電話をかけない

・道を広がって歩かない

 

そのルールがある理由は

他人に迷惑をかけない

という曖昧な事も多いです。

 

確かに大声で話している人がいるとイライラする人がいるかもしれない。

電車の中で電話かけていると嫌だと思う人がいるかもしれない。

道を広がって歩いてたら邪魔だとムカつく人がいるかもしれない。

 

けどそんな事いったら何が他人に迷惑で何なら大丈夫か常にビクビクしていないといけなくなるんじゃないか?

そして最終的にはそれに疲れて、

何だか生きづらい。楽しくない。こんな窮屈な人生もうどうでもいいかな。

と、思ってしまう人もいるのではないかと思うのです。

 

というか、それは自分の事なので本当にいるのです。

 

けど海外に行けば普通にみんな大声で話してますし、電車の中で電話しています。

こんなちっぽけなルールで四苦八苦してるのは馬鹿らしい。と思うのです。

 

それでも子どもの頃親に怒られた記憶は消えない。

例えば店で中国人が大声で話していたとすると、別に私は何も気にしなくて良いはずなのに「ここは日本だから静かにして!」とつい言いたくなってしまう。

楽しく観光している彼らが日本人に怒られるんじゃないかと心配してしまう。

まるで小さな頃楽しく生きていた自分が親に怒られたように。

 

みんな着実に親が、世間が望むイイコになっていく。

そんなイイコだらけの世の中は、常に他人からの評価を恐れていて、窮屈だ。

 

そんな風に思った。

それに対しての自分からの解決策はない。