頑張るえびのブログ

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【小説】うちのねこ

私が小さい頃、家には猫がいた。


腹は白で背中から顔にかけて黒とこげ茶、それに一部分茶色の毛も交じっていたような気がする。でっぷりと太ったオスの猫だ。(去勢されていたが。)


彼の名前は「ミー」と言った。猫だから「ミー」であるが、果たして彼がそんなかわいい声で鳴いたかどうかは、あまり記憶にない。どちらかというと「にぃゃああお」という声で鳴いていたことは覚えている。

 

彼は私が小学校の頃、家の近くのドラム缶が放置されている廃工場にいたのを母が拾ってきた。今はその廃工場はすっかりなくなり、駐車場になってしまったが、今思い返すと幼い頃家の周りには何件も廃工場や廃屋があったものだった。

私は小学校からの帰り道、寄り道をしては遊んでいた。灰色のコンクリートの壁の下にはマリーゴールドとサルビアが咲いていた。線路沿いには各家の庭のようなエリアがあり、そこにはいろいろな植物が生えていた。幼い頃の自分はちぎると白い液体が出てくる葉っぱをよくちぎって「ミルク」と呼んでいたものだった。

 

さて、このミーは、詳しくは知らないがドラム缶の上で「にゃあにゃあ」鳴いていたところを母親に鰹節で誘い出され捕まえられたそうだ。我が家は1階の物置に犬を飼っていたので、ミーは父母のいる2階で飼うことになった。


若い頃の彼はとても活発だった。驚いた拍子に父母の背丈以上あるタンスを駆け上がることもあった。なるほど猫の運動神経はすごいものであると子供ながら感心したのだが、それも最初のうちだけで、でっぷりと肥えた彼は次第にねずみのおもちゃにも見向きしないかわいくない猫になった。


かわいくないと言えば彼の顔である。精悍な顔つきと言えば聞こえはいいが、すこぶる目つきが悪かった。口、鼻もまるで「ふんっ」とでも言いだしそうな可愛くない口をしていた。

かわいいかわいくないは別として、私と彼は仲が悪かった。おそらく家族で一番嫌われていたのではないだろうか。原因は明確で、私がいたずらっ子だったからである。


ある日、私はなんとはなしに洗濯物を入れる籠にミーを閉じ込めたくなった。洗濯籠を持って追いかけまわし、部屋の隅まで追い詰めたところで激高した彼に思いっきり顔面をひっかかれ、やくざのような顔になって作戦は失敗に終わった。
ひっかかれたのはもちろん自業自得ではあるが、高校まで猫を見るとちょっかいをかけたくなってしまう性は治らなかった。
ある時は友達の家のめったに怒らないという猫をソファーの下に追い詰め激高させたことがある。友達曰くその猫が「シャァアアアアア!」と威嚇の声を出すのを初めて聞いたそうである。自分としては猫と遊びたかっただけなのであるが、猫にとっては、甚だ迷惑だったようである。

それでも私は猫が好きだ。

我が家で一番ミーに好かれていたのは母親である。
最初に拾ってきたのが、母だということもあるだろうし、エサをやるのも母が一番多いからかもしれない。


ミーは頭のいい猫だった。夜は仕事から帰ってきた父がミーにエサをやる係りになっていたのだが、彼は父の乗る車が帰ってくるのを見ると、部屋のドアの前に来て「にゃ~にゃ~」鳴いてエサを求めた。


さらに彼は部屋の引き戸を自分で開けることが出来た。器用に手をひっかけ扉を横にスライドし華麗に脱走してしまうのだ。築50年の和風家屋の我が家は引き戸しかないため、カギをつけたりつっかえ棒をしたり大変だった。
しかし脱走しても必ず帰ってくるという所が不思議な猫である。逃げる時は自分で開けたくせに、外からは開けられないのか、一階の窓の近くでにゃ~にゃ~鳴いているところを保護されるのだ。


さらに彼はおそらく霊感があった。母曰く祖父が死んでしまった時、飼っていた犬が死んでしまった時、必ず息を引き取ったと考えられる時間に騒いだという。

 

そんな彼もずいぶん前にこの世からいなくなってしまった。
最後は大好きな母の横で丸くなって息を引き取ったという。
普通猫と言うものは死期を悟ると姿を消すと言うが、最後の最後まで不思議な猫だった。
 

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うちのねこ