頑張るえびのブログ

年に1回は中国行って3回は海外旅行すると決意した人のブログです!人生やろうと思えば出来る!

沖縄と中島みゆきの「阿檀の木の下で」

ANAのセールで航空券が安く手に入ったので人生初沖縄に行ってきました!

綺麗な海!変わった地名!

何となく日本とは違うような景色にワクワクしながら観光しました。

首里城は再建されたらまた行きたいです。

観光していると綺麗な海!美味しい食べ物!だけで終わってしまうかもしれない沖縄。

 

けど美ら海水族館に行く途中にコンクリートの採掘場みたいな所があって、そこで米軍基地反対の座り込みをやっているのを見ました。

おそらくそこから辺野古基地を作るためのコンクリートを運ぶので反対されている方がいるのでしょう。

観光客とデモの人との温度差が見ていて非常に辛かったです。

 

今回沖縄に初めて行くことでGoogleマップをまじまじと見たのですが、沖縄を空から見ると不自然な滑走路が2つあることに気が付きました。

普天間基地と嘉手納基地です。

沖縄の方がどう思っているかは分かりません。

けど、こんなにも広い面積を占めているのかと、改めて見ると非常に恐ろしくも感じました。

 

そんな中、ウミカジテラスを観光していたらこんなデカい実がなる木を見つけました。

沖縄の方が「これは阿檀だよ。」と、教えてくれた時に中島みゆきさんの「阿檀の木の下で」を思い出しました。

そういえばあれは沖縄の曲だったなと…。

 

中島みゆきさんの「阿檀の木の下で」はこのような歌詞になっています。

波のかなたから流れて来るのは

私の知らない貝殻ばかり

波のかなたから流れて来るのは

私の知らない寿歌(ほぎうた)ばかり

一番最初に流れてくるのは「私の知らない貝」なので、最初は海の歌なのかな?と思ってしまいます。

次に流れてくるのは寿歌。寿歌とは天皇を祝う歌だそうです。

これは調べないと分からない。なんか寿の歌なので「めでたい歌なのかな」と勘違いしてしまいます。

 

遠い昔のあの日から この島に人はいない

みんなみんな阿檀の木になった

波のかなたから流れて来るのは

私の知らない国歌(くにうた)ばかり

次のフレーズ「遠い昔のあの日からこの島に人はいない」で恐らく「あれ?なんか様子がおかしいぞ?」と気づく人もいるはず。

「みんなみんな阿檀の木になった」とは一体どういう事だ?

と思った次に「私の知らない国歌(くにうた)ばかり」

ここでこれはもしかすると戦争の歌かもしれないと気づくわけです。

 

遠い昔にこの島は戦軍(いくさ)に負けて貢がれた

だれもだれも知らない日に決まった

波のかなたから流れて来るのは

私の知らない決めごとばかり

ここでこの曲が戦争をモチーフにしていることが明らかになります。

さらによく耳をすますと「遠い昔に」の部分には飛行機が飛んでいる音が聞こえます。

「この島は戦軍に負けて貢がれた」「だれもだれも知らない日に決まった」

このフレーズから沖縄の曲だと気づかされます。

そして波のかなたから流れてくるのは「私の知らない決め事」

占領下の沖縄に思いを馳せざるを得ません。

この後の間奏でも飛行機の飛ぶ音が頻繁に聞こえます。

 

陽は焼きつける 阿檀は生きる

大地を抱いて阿檀は生きる

山の形は雨風まかせ

島の行方は波風まかせ

「陽は焼き付ける」は過去や現在の身を焼かれるような痛みを表しているのでしょうか?けど、それでも阿檀(=沖縄の人)は生きる。沖縄の大地を抱いて生きる。

山の形が雨風に変えられていくように、島の行方もあるがままに任せて生きていく。

 

見るように見れば投げやりな、放棄してしまったかのような姿勢です。

しかし、考えようによっては沖縄の方言である「なんくるないさー」に近いものを感じます。

この「なんくるないさー」は単純に「なんとかなるさ」という意味だけではないという記事をこのブログで見て知りました。

sugucchi.asia

本当の意味は「挫(くじ)けずに正しい道を歩むべく努力すれば、いつか良い日が来る」という意味だそう。

私の個人的な考えですが、このフレーズはまさに上記ブログに書いてある「まくとぅそーけ=正しい事、真(誠)の事をすれば」「なんくるないさ=何とかなるさ」の姿勢で生きている沖縄の人の事ではないかと感じました。

 

遠い昔にこの島は戦軍(いくさ)に負けて貢がれた

だれもだれも知らない日に決まった

だれも知らない木の根の下は

主(ぬし)の見捨てた貝殻ばかり

そして最後のフレーズは以前に出てきたものと同じ歌詞です。

だれもだれも知らない日に決まったの後には爆弾が落ちるような音が2回聞こえます。

これは…もしかすると…広島と長崎に原爆が落とされて戦争が終わったということかもしれません。

そして時が流れ人々の記憶から忘れ去られて誰も知らなくなってしまった…そんな風にも感じます。

最期の主(ぬし)の見捨てた貝殻ばかりは一体どういう意味でしょうか?

「主(ぬし)」を天皇と見ると天皇に見捨てられて戦死した沖縄の人達にも思えてきます。

そして白い貝殻はどことなく骸骨をほうふつとさせるので遺体のことを表しているのでしょうか?

そうなると一番最初に流れてきた「私の知らない貝殻」というのは…

 

改めて中島みゆきは天才だなと思いました。

ちなみにこの「阿檀の木の下で」はAmazon MusicやYouTube Musicでは配信されていないようで…CDを買わないと聞けないというレアな曲のようです…

パラダイス・カフェというアルバムに収録されています。

 

まだまだ知らないことが多すぎるので沖縄の歴史についても勉強してみたいです。

そしてまた沖縄に行きたいです。