私はちょっと前のWBCとか、それこそオリンピックとか、大河ドラマとか…
みんなが盛り上がってる時に正直「うるさいな」とか、「どうせすぐに忘れるのに」とか思ってイライラしてしまうタイプでした。
WBCなどはもちろん選手の人の頑張りは凄いと思うけど、興味無いのにみんながその話ばかりしていてイライラ。
同じように他にも流行りの映画だったり、ドラマだったりでみんなが話しているときも何となくイライラしてしまいがちでした。
最近は流行りのものを勧められるのでさえイライラしてしまうレベルに…
このままではヤバいぞと思いこの「反応しない練習」という本を読んでみたところ、原因が分かった気がするので紹介します!
欲求が叶わないからイライラしてしまう!?
この本では
悩みを作り出しているのは”心の反応”
としています。
確かに同じように流行の物を勧められても「嬉しい」という人もいますよね。
同じ状況なのにある人にとっては苦痛で、ある人にとっては何ともないというのは、その事象に対しての「反応」が違うからでしょうね…
そして本書の中では心の反応こそが人生のトラブル、悩みを惹き起こしているとし、
「ムダな反応をしない」こと
を説いています。
では一体なぜ私たちは”反応”してしまうのか?
それは人間には以下の7つの欲求を求めてやまない性質があるからだそうです。
①生存欲(生きたい)
②睡眠欲(眠りたい)
③食欲(食べたい)
④性欲(交わりたい)
⑤怠惰欲(ラクをしたい)
⑥感楽欲(音やビジュアルなど感覚の快楽を味わいたい)
⑦承認欲(認められたい)
この7つの欲求の中で特に怪しいのは⑦の承認欲求ですよね…
本では以下のようにまとめています。
①まず”求める心”があり、
②それが”七つの欲求”を生み出し、
③その欲求に突き動かされて、人は反応する。
④ときには欲求を満たす喜びが、
⑤ときには欲求がかなわない不満が生まれる。
そういうサイクルを繰り返しているのが、人間の人生であるー。
心の反応って「なぜ自分がこんな反応をしてしまうのか、自分でも分からない」ということが結構ありますよね。
今回の私もそうです。
なんでこんなに嫌な気持ちになるか分からず、イライラしてしまいました。
それが「欲求がかなわないからイライラしていた」としたら…私は一体何の欲求が叶っていなかったんでしょうか?
結局は承認欲求の塊だった
「欲求が叶わないからイライラしてしまう」
では私は一体流行の話題についていけないことで、何の欲求が叶わなかったのでしょうか?
じっくり考えてみると…こんなメカニズムが思い浮かびました。
みんなは盛り上がってるけど、興味が無くて盛りあがれない自分がいる
↓
そんな自分はおかしいんじゃないだろうか?
↓
いいや自分はおかしくない!おかしくないと誰かに承認してほしい!
↓
けれどもみんな自分の興味が無い事で盛り上がっていておかしくないと承認してくれない!やっぱり自分がおかしいの?!
↓
イライラ!!
こういう事ではないかと。
「人と違っていても良い」と思いながら、本当は仲間はずれにされたくない自分がいて。
そして「みんなと同じように盛りあがれない自分はおかしいんだろうか?」という不安から「逆にこんな事で盛り上がってる他の人はおかしい」という思考に変わってしまい…
それで承認してくれない人達に対して「どうせすぐ飽きるのに」とか攻撃的な考えをもってしまっていたのではないかと。
これに思い当たった時はまさに青天の霹靂でした…
なぜイライラしてしまうのか。本当に分かっていなかったので。
これに気づいた時に頭に思い浮かんだのは小学校の自己紹介で「好きなテレビ番組」を聞かれた時のエピソードです。
私の家はTVをあまり見せてもらえなかったのですが、なぜか「どうぶつ奇想天外」だけは見せてもらっていました。
なので好きなテレビ番組は「どうぶつ奇想天外です」と言ったのですが、その時にクラスメイトに笑われたんですよね。
その時の記憶がありありと思い浮かびました。
当時小学校3年生。とても恥ずかしく、悔しく、そしてとてもムカついた記憶があります。
流行についていけない自分。
そしてそれを馬鹿にされた過去。
それを未だに引きずって「私はおかしくなんかない!!誰かそれを認めて!!」とイライラしてしまっていたのだと気づかされました。
原因が分かれば後は対処は簡単です。
自分の中で「流行りのものについていけなくても自分はおかしくない」となだめるだけでオッケーです。ものすごく心が軽くなった気分です。
今思うと誰かに承認されたいというのは自分自身の感情に自信を持ててないからかもしれないですよね。
けど
自分がそう思ったからそれで良いんだ!
他の人と違っていてもいい!
他人の評価は気にしない!
と、口では言ってもやっぱり他の人と違うと不安になってしまうのが人の性。
自分自身にそういう感情があることを受け入れて、なだめていく大切さに気づいたのでした。
ちなみにこの本5年前くらいに一回は読んだはずなのに、その時は全く気が付かなかったし、内容を役立たせることも出来ていませんでした。
「藁にも縋る」ではないですが「本に縋る」は大切ですね。